2022.7.20

佐藤秀仁僧正-大本山髙尾山薬王院中興第三十三世貫首- 

Category : Gozoと人

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オーナー福士が在籍させていただいています東京八王子南ロータリークラブ。

そこで一緒に奉仕活動をされていらっしゃる佐藤秀仁僧正。

昨年には貫首に就任され、ますますご活躍されています。

明るく飾らぬお人柄で、会う人を蕩けさせる力が凄くて、福士もすっかりファンになっています!

今、クラブ内の有志から佐藤貫首へオーダーシューズプレゼントをお承りしています。

こんなに沢山の方から期待されてオーダーをいただいていますから、

ここで頑張らないで、いつ本気になるの!?と、気合い入りまくりでお作りしています。

今回のInspirationは、佐藤秀仁貫首から

ご幼少の頃から今に至るまでのお話をいただきました。

八王子のお宝

日本遺産「霊気満山 高尾山」にお越しの際には、ぜひ高尾山薬王院を訪ねてみてくださいね。

僧侶として

私が8歳の時に住職であった父が50歳の若さで病死すると、その後は、母がお寺 の管理人として勤める事となり、そのまま育ったお寺に住む事を許されました。
本来なら他の僧侶がお寺に入るところ、髙尾山薬王院の当時の御貫首※(大寺院 の住職の尊称)より、「この男の子の成長を待つ。」という極めて特例として慈 悲の心を頂けた訳です。

高校卒業後、即実践の世界へと髙尾山と同じ真言宗智山派の大本山※(大規模な 寺院)である成田山新勝寺にある僧侶養成機関に入学させて頂き、一年間徹底的 に僧侶としての礎を指導して頂きました。卒業後は弟子として髙尾山へ入山させ て頂き僧侶としての生活がスタートしました。
しかし、若干19歳の頃の私は俗世の未練を断ち切ったとは言い切れぬ迷いの渦中 にありました。

周囲の大人達は、父親のような僧侶になるようにと期待をかけて下さいました。 勿論私もそのつもりでいたのですが・・・。しかし一向に迷いが経ちきれないで いました。それは、親の跡を継ぐ・・・。僧侶としての最低限の資格は頂けたも のの、親の事を覚えていないのにどうしたらいいのか、何を頼りに何を手本とし たら良いのかわからない…。といいつつ、おそらくその時の私は、そんな事を理 由にして誰しもが直面する人生の現実から目を背けていたのだと思います。いつ しか「親の跡を継がなければならない、いや、やらされている感。」が生じてい たのだと今になって思います。ですので何をやっても喜びが感じられない。面白 くない。そんな鬱蒼とした日々を過ごしておりました。

山伏修行のご縁を頂く

そんな私を周りの先輩達は、腰が引けている中途半端な奴、と思ったのではない でしょうか。
ある日、先輩から「てめえ、甘ったれてんじゃねえぞ!おめえの親父が修行した 大峯山にいって修行してこい!」と叱咤激励を受けました。
私も、弱っちい自分に薄々嫌気がさしていたところでしたので何かが変われるか もしれない、何か気付く事ができるかもしれない。そう思い立ち、大峯山奥駈 (おおみねさんおくがけ)修行(しゅぎょう)を行っている京都の真言宗醍醐寺の門 を叩いたのです。

※大峯山奥駈修行とは修験道の開祖とされる役(えんの)行者(ぎょうじゃ)が八世 紀初頭に開いたとされる奈良県吉野山と熊野三山を結ぶ修験(しゅげん)道(どう) の修行場として開かれた道で、熊野古道の中でも紀伊山地の尾根を縦走する過酷 な行程の修行です。平成16年にはユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣 道』に指定されました。

この修行は、必要最低限の食料と水を担ぎ、大先達と呼ばれる絶対的指導者のも と、2~30名の人数で未明から日没まで急坂を登り、切り立った崖をよじ登り、 大きな岩を乗り越えて倒木を這って潜りひたすら熊野を目指して歩むのです。
列から離れぬよう必死で付いていくにつれ肉体的にも精神的にも極限に達してい きます。山道や岩には前を歩く山伏達の汗が点々と垂れて線になっているのです が、ふと「父も生前この道を歩いた。この崖をよじり岩を越えた。尾根ではこの 絶景を見て感動しただろうし、谷から吹き上げる涼風にあたったであろう。」そ う思った瞬間に、時空を超えて父の存在がすぐ近くに感じたのです。まるで、ひ いこら言って歩く私を引き上げるかのように。その瞬間、汗だか涙だか鼻水だか わからぬ程、顔がビチョビチョになったのを覚えています。そこから!そこから 力が湧きだしたのです。それまでの自分は、一番基本となる般若心経を唱える事 もたどたどしく小さいな声でした。しかも唱え終わった後には「これでいいのか なあ?」そんな不安も生じていたのですが、この修行を終えてからは勇気と自信 が噴出してお経の声が堂々と大きくなったのです。

今、思うに、自分自身の心とは実は、自分が一番見えていなくて自分と対峙する 事とは中々自分の都合の良い状況では難しく、普段の生活よりは多少は緊張して たり暑かったり寒かったり、しんどかったり。お寺の人間からいえば、なるべく 神仏がおわします霊山だったり霊場だったり。そういう空間に身を於いてしみじ み自分と向き合ってみる。

修行とか信仰とは、世間一般では窮屈にも感じるし難しく考えてしまうのは人情 かなと思います。

でも、本当はそれ程、難解ではないと思います。こういう事は自分自身の心の問 題であり、物事を良い形で考えて判断できるようにする心を洗うひとときなのです。
まずは、目に見えない尊い存在である神仏の徳を信じてみる。そしてその神仏に 心の拠り所を定めてみる事により自分自身の規範が立てられる。
願いが叶うとか叶わないとかの前に自分自身の心に立てた誓いを更に神仏に御誓いする事により自分の努力、目標が確立して成就へと至らしむ。そして人生を生 き抜く努力を続ける。
これまでの修行でこのような事に気付かせて頂きました。

髙尾山主就任

さて、すっかり自信をつけた私は「こんな自分でも役に立てる!拾って頂き育て て頂いた髙尾山に御礼奉公のつもりでお仕えしよう。」そんな気持ちで過ごして おりました。
ですので、自分がまさか髙尾山の山主になろうなど想像すらしてはならない身分 とわきまえていたつもりでした。

時が経ち令和二年七月十八日、先代の御貫首が御高齢と体調上の理由で勇退を表 明なされ、同年十月二十七日、成田山、川崎大師様お立合いのもと髙尾山後任住 職選定の儀を厳かに執り行われました。
「後任は佐藤秀仁。」その言葉には耳を疑いました。「えっ?えっ?えっ?」
その日から数日で体重は数キロ落ち、寝たのだか寝てないのか、食べたのか食べ てないのか?」なかば朦朧とした日が続きました。

ある日、ふらふらと髙尾山の中腹にある歴代の貫首の墓地に訪れました。
お参りするというよりは、立ち尽くすといった感じでおりました。かなり思い詰 めていたのです。
その時、ふと周囲を見渡すと大杉が立ち並んでいました。「あっ、この大杉も実 生の頃も若木の頃もあっただろうな。今日まで数百年、嵐もあっただろうし大雪 や山火事もあっただろうな。その際には、同年代の杉が倒れたり折れたり燃えた りしたろうな。それでもしっかりと根を張って耐え抜いて今こうして大樹である んだろうな。あれっ?自分もそうじゃないのか?」
そこから体中が軽くなり、力が漲ってきたのです。一番の親孝行は親の跡を継ぐ ことだよな。お先代のご御恩に報いる為にはそれしかないよな。おっしゃ!」

その日から一年数ヶ月、焦らぬよう急がぬよう、御来山の方に対し朗らかに挨拶 を。そして暑い日には涼しさを。寒い日には温もりご用意できるよう心掛けて精 進を続けております。

このお山は古来より心を洗う場所として今日に至ります。
是非皆様、生きる力を充電しに御来山下さい。

高尾山薬王院公式ホームページ

https://www.takaosan.or.jp/

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